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寝テ居ルモ奉公ナリ [ひまつぶし]

私ねぇ、暇なんですよ。
仕事がなくて。
いわゆる「社内ニート」ってやつでね。
やることがないから、一日中インターネットを見てたりするんです。
そうするとね、だんだん自己嫌悪に陥ってくるんですよ。
「貴重な人生の時間をこんな無意味なことに費やすなんて、なんと愚かなのだろう」
とか、
「忙しく働いている人々に申し訳ない」
とか思うわけですよ。
それで、せめてもの雑用として、コピー機の用紙を追加したりするんですけど、そんなのすぐに終わっちゃうんです。

そんな時にですね、読売新聞1面の「編集手帳」で荻生徂徠のこんな言葉を知ったんです。

寝テ居ルモ奉公ナリ

おおお、そうか! と目の前が明るくなりました。
ひがな一日インターネットを見て居るも奉公なり!
遊んでいるようでも何かしらの役には立っているのだ!

そうだ、そうだ、と盛り上がり、一体どんな文脈でどういう説明のもとでこの言葉が語られているのか、原本にあたってみたくなった。
調べてみると、近くの図書館に収蔵されている「古典大系 日本の指導理念」という全集に収められているようだ。
よし、近いうちに調べに行こう。
しかしそもそも荻生徂徠ってどんな人だったっけ???

そんな時、私はたまたま磯田先生の「無私の日本人」を読んでいた。
その中で中根東里という大変立派な学者先生の話が出てくる。
そこに現れたるは当時飛ぶ鳥を落とす勢いの御用学者、荻生徂徠!
高校受験以来ほとんどお目にかかっていない名前に二度もぶつかるとは。
シンクロニシティ、キタ!!
徂徠先生こそが私の救世主であられたか!
寝テ居ルモ奉公ナリ!
Yes! That's right!!

……と盛り上がっていたところ、そこで描かれる荻生徂徠は学問も人間も薄っぺらい俗物であった。

寝テ居ルモ奉公ナリ

という言葉の輝きが一気に失われたのは言うまでもない。

わざわざ図書館へ行って原本にあたる気がなくなったので、インターネットに載ってないかなーと調べてみたら、2008年の読売新聞「編集手帳」が出てきた。
そこで使われていたのは、「寝テ居ルモ奉公ナリ」とは言うけれど、こんな政治家だったら「ネテイテクレタホウガマシ」だよね、という、先日とまったく同じ論法であった。
同じネタを使い回すのはちょっとカッコ悪いよな、今はインターネットですぐわかっちゃうからな、と思いながら、私の突発的荻生徂徠ブームは終了した。



フランス語はじめました。 [ひまつぶし]

あまりにも暇なので、フランス語の勉強をはじめました。

Amazonの神のご宣託に従ってこの本を買ってみた。



オネエノリの語り口が大変楽しいですが、だからといってフランス語が簡単になるわけではないという現実。
英語でいうところのbe動詞の活用を覚えるところですでに挫折。(めんどくさい)
でもせっかくだから一通り読んでみようと思います。

なによりも気に入ったのは、発音がカタカナ総ルビなこと!
ネイティブのような完璧な発音じゃなくても伝わればオッケー、という考え方が実に素晴らしい。
このカタカナを読んで「ウイ イレ テテュディアン」とか言ってるとパリの香りがしてくるような……?

来年の今頃、私はパリに住んでいるかもしれない!






今日のひまつぶし20130618 [ひまつぶし]

今日もひまである。
暇なのにボスがいるので自由はない。
画面は見えないのでインターネットを見ることは可能だけれど、
あきらかにクリックとスクロールしかしてないんじゃ、いくらなんでも感じ悪い。
(私は人目を気にする典型的な日本人である)

仕方がないので、とりあえず英文メールのタイピング練習をやってみた。
10分であきた。

Futuremeにもメールを送ってみた。
3通も送ればお腹一杯。
しかし、ここのところかなりの数のメールを送っているのだけれど、一通も届かない。
割と近い未来に設定して送ったメールもあるはずなんだけどなぁ。おかしいなぁ。

それでもまだまだ時間はあまっているので、このひまつぶしブログを書いてみる。
ひまである。
ひまならひまで、インターネットなりソリティアなりKindleなりを楽しみたい。
ボスがいるのにひま、というのが最悪のパターンである。

そして今日は大したネタもないのである。


今日のひまつぶし20130613 [ひまつぶし]

今日も暇でした。
そしてやる気もありませんでした。

今日やったこと。

ちょっと仕事(30分くらい?)
インターネット(2時間くらい?)
ソリティア(1時間くらい?)
ブログを書く(30分くらい?)
死者の書・続編を読む(1時間くらい?)
阿Q正伝を読む(2時間くらい?)

ものすごく罪悪感でいっぱいです。
「人生には何ひとつ無駄なものはない」って本当でしょうか、遠藤周作先生?
少なくともインターネットとソリティアに関しては「人生に必要なもの」とはどうしても思えないのですが……


私のひまつぶし(英文メール編) [ひまつぶし]

たまーに英語でメールを書かなければいけないことがある。
私は英語があまり得意ではないので、逃げられる時は逃げるように心がけているが、
どうしても逃げられない時はしぶしぶ自分で書く。
インターネットで調べながら、たどたどしい英文を書く。

今日はフランスからメールが届いて、それに対して別に返事を書く必要はないけれど、まあ、受け取ったよ、くらいは書いた方が親切かもね、という状況だった。
長々と難しいことを書く必要はないので、暇は暇だし、トライしてみることにした。

とりあえず「受け取りましたよ」というような英文をコピペして、「サンキューベリーマッチ」で締めることにする。
ここで私はマッチのスペルに自信がなくなった。
自信がないまま、とりあえず書いておいて、後で調べてから送ろうと思っていた。
そして、うっかり、そのまま送ってしまったのである。

後になって「そういや、あのスペルって正しかったのかな?」と思い、調べて見ると…
案の定、間違えていたのである。
正しいスペルはmuch
私が書いたのはmach
こうも英語が書けなくなっていることに愕然とする。
どうせだからとmachの意味を調べてみた。
【名詞】【不可算名詞】
【物理学】 マッハ 《流体中の物体の速度と音速との比; Mach one [1] は音速に等しい速度》.
(weblioより)

…………マッハ。
サンキューベリーマッハ。

そりゃ速えな。。。

ああもう恥ずかしい!!
絶対フランスで笑ってるはず!!
あああ情けない。

ワタクシ、反省しました。
苦手だなんだと言ってないで、せめてサンキューベリーマッチくらいは正しく書けるようになりたいです。

そうして私のひまつぶしリストに「英文メールのタイピング練習」という項目が加わったのでした。


私のひまつぶし(写経編) [ひまつぶし]

先日、被災地を巡って写経会を開く坊さんたちのドキュメンタリーを見た。
被災地の現状とそこに住む人々の悲しみや不安に直接触れて、自分の弱さやずるさを思い知る坊さんたち。
無力感と恐れを抱えながら、それでも人々と向き合っていく。
その戸惑い、苦悩する姿にこそ、救いを見出せるような気がした。
神妙な顔で被災者支援だ、心のケアだと言っている輩より、よほど寄り添っているように感じた。

苦しむ人々の手助けをするということは、その苦しみを一緒に抱える覚悟が必要だということだ。
そっくりそのまま同じ苦しみを味わうということではなく、関与する側もまた、その立場なりの苦悩を担わなければならないということだ。
簡単なことではないのである。
日本の仏教も捨てたもんじゃない。
ウチの菩提寺は論外だがな。

さて、ひまつぶしの話。
写経する人々を見ていて、私はもちろんこう考えた。
「これっていい暇つぶしになるんじゃないか?」
畏れ多くも、ありがたーいお経である般若心経を、あろうことかひまつぶしに使おうと言うのである!

インターネットで検索すると、お手本はもとより、上からなぞって書けるように薄く書かれているものもある。
現代はお経だってPDF化されているのだ。
早速印刷してみる。
幸い、ボスは出張で部屋には私一人だ。

おー、なるほど。確かに書いているうちに無心になれる。
こりゃーいい。
しかし廊下を人が通るのでちょっとドキドキする。
仕事中に写経しているのを見られるのはあんまりよろしくない。
さぼっていると叱られることはないけれど、精神的に病んでるのかな、と思われてしまう。
まあ若干病んでいるのは確かだ。
般若心経の写経は所要時間約1時間。
私は気が散ってしまって切れ切れになってしまったけれど。

最後に日付と名前を記入。
願い事を書いてもいいらしいが、祈りとは本来そういうものではない。
「何も願わない手を合わせる」(藤原新也)である。

ありがたーいお経であるからして、もちろん寺へ奉納するべきだが、ひまつぶしの写経を奉納するのはかえって仏に対する冒涜であろう。
ゆえに、とりあえずは目立たない封筒に入れておいて、いずれはシュレッダーへ納める予定です。


今日のひまつぶし20130604 [ひまつぶし]

今朝は朝イチからボスに腹が立ち、イライラして冷たくあしらい、そんな自分に自己嫌悪。
さあ、インターネットで検索だ!

イライラ 自己嫌悪 上司 嫌い ストレス解消法

そんなキーワードで検索していたら、あっというまに1時間は経っている。
インターネット漬けの毎日も、きっと私の脳に悪影響を与えているに違いない。
しかし止められない。
ああ、ネットジャンキー。

イライラが収まらないので、怒りをFuturemeにぶつけて送信。
こういう感情発散メールを過去から受け取ると、果たしてどんな気分になるのだろうか。
結果は来月わかります。


私のひまつぶし(Futureme編) [ひまつぶし]

ウツの波が来るとつい読みたくなるもの。
それは自己啓発本。
こういう本を読んだところで幸せにも金持ちにもなれないことはわかっている。
わかっちゃいるがやっぱり読んでしまう。
それが自己啓発本。

半年ほど前につい読んでしまった自己啓発本において、未来の自分を考えることは今の自分を変える助けになる、という記述があった。
その真偽のほどはともかくとして、面白いツールを紹介していた。
それはFutureme.orgというサイトで、ここから未来の自分にメールを送ることができる。
これが実にいいひまつぶしになるのである!

今から一カ月以上未来の任意の日付を指定して、任意のメールアドレス宛にメールを送ることができる。
自分宛に送ることはもちろん、他の人に宛てて書いてもいい。
私は今のところ自分にしか送ったことはないけど。
タイピングの音でまるで仕事しているかのように装えるし、過去からメールが届くとそれもまたひまつぶしになる。
すばらしいツールである!

書くことはなんでもいいが、私の経験上、こういうのはやめた方がいい。
「このメールを読む頃には仕事が充実していることを祈ります」
まずこのような楽観的な未来展望は実現しない。
こういうメールを過去の自分から受け取ると、非常に腹が立つのである。

三か月前にできなかったことが、そうそう簡単にできるかっつーの!
その間、お前は一体、どんな努力をしたというのか!

もちろん、何もしちゃいない。
やっぱりダラダラと暮らしていたのである。
そしてそんな他力本願でノーテンキなメールを出した自分に腹が立ち、何もしなかった自分が情けなくなり、自己嫌悪に陥るのである。

Futuremeから得た教訓。
「未来の自分に過剰な期待を持ってはいけない」


私のひまつぶし(発言小町編) [ひまつぶし]

私の主なひまつぶしはインターネットである。
壁を背にしているので、他の人に見られる心配はない。
ゆえに思いっきりインターネットができてしまう。
それは良いのか悪いのか…
おそらくログは取られているであろうが、誰かがそれを管理してチェックしている様子はない。
Youtubeだって、おそらくアダルト動画だって、見ている人は見ていると思われる。
かく言う私は動画には手を出していない。
たまにかわゆーい動物たちの短い動画を見ることはあるけれど、音がないとつまらないようながっつり動画はさすがに見られない。
一応、仕事をしているような体裁だけは整えないといけないからである。

行きつけのブログはそれほど数があるわけではないので、それらのチェックは10分ほどで終わってしまう。
あとはその時々に気になったことを検索。
それでもまた時間がありあまっている場合、私はついに禁断の「発言小町」に踏み入ってしまうのである。。。
発言小町は面白い。
もちろん面白いから見るのである。
しかし恐ろしいのは中毒症状だ。
小町では、とんでもない人々やとんでもない出来事がわんさか出てくる。
それを見始めてしまうと、止まらなくなるのである。
とりあえずランキング上位はすべて見尽くし、もっととんでもない話が、もっと面白い出来事があるのではないかとリンクをクリックする指を止められなくなる。
まさに中毒。おそろしい。。。
気付けば2時間くらい小町を見続け、そしてその後に訪れるのは不快な肩こりと自己嫌悪の波。
あーあ、また小町見ちゃったよ…
ゆえに禁断の発言小町。
でもまた今日も見てしまうのです。


暇なのである。 [ひまつぶし]

毎日毎日ヒマである。
週末以外、ヒマである。

若隠居と名乗ってはいるものの、残念ながら隠居の身ではない。
とある公的な機関で雑用の仕事をしている。
しかしながらヒマである。
一日の仕事が30分で終わってしまう日も珍しくない。
場合によってはまったく本当にやることがない日もある。
仕事は自分で見付けて進んでやるものだ?
クソくらえってんだ!

仕事が忙しすぎて辛い人もいるであろう。(かつての私がそうであったように)
働きたくても働けない人だっているであろう。(かつての私もそうであったように)
しかし、こうして何事もなさず、何も生まず、ただ時間だけが過ぎていくことで感じる焦燥感と、
おのれが腐っていくような感覚の辛さは、それを味わったことのある人間でないとわからないものだ。

この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。
…と嘆いたのは「山月記」の李徴であるが、まさに同じ心境である!

この暇な毎日にもがき、苦しみ、なんとかしてただ流れていく時間を有効活用できないかとのたうちまわる日々。
だったらいっそネタにしてしまおうか。
そう開き直れたのは、一つの進歩かもしれない。


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