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冬の海 [日記]

ふと思い立ち、海を見に行ってきました。

私の家から車で1時間ほどの海水浴場へ向かいます。
途中でコンビニへ寄ってお菓子を買い込み、カフェラテを飲みながら、ゴキゲンな音楽をかけて海へゴーゴー!
ちょーたのしーい!

冬の海、と聞くとなにやら寒々しい風景が浮かびますが、晴れた冬の日の太平洋は穏やかでとても清々しい景色でした。

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サーファーが波に乗っていたり、野球部がトレーニングをしていたり、犬を連れて散歩する人がいたり。
まばらな人の気配が、寂しくもなく、わずらわしくもなく、ちょうどいい感じ。

砂の感触を確かめながらテクテクと砂浜を歩くもよし。
ベンチに座ってぼんやりと海を眺めながらお菓子を食べるもよし。
波打ち際まで接近して打ち寄せる波と追いかけっこするもよし。

こういう海の楽しみ方はしたことがなかったなぁ。
でもすごくいいなぁ。

海水浴シーズンの海には近づきたくないけれど、シーズンオフの海はこんなにも優しい。

もう少し温かくなったら、素足で波と戯れてみたいと思いました。





歳末大放出 [日記]

私の部屋からついにテレビが消えた。
テレビ無しの生活は以前にもやったことがあるのでさほどの抵抗はない。
周りの人々からは「自転車やラグビーは見なくていいのか」と心配されたが大丈夫。
オンデマンドを契約してiPadで見るつもり。
テクノロジーよ、ありがとう!

さらには長年の懸案であった背の低い和箪笥をついに片付けることができた。
中に入っていた着物は空きのできた他の箪笥へ移して、とりあえずいらない箪笥を撤去。
着物は覚悟さえしてしまえば燃えるゴミなりなんなりいつでも捨てられるけど、厄介なのは家具の類い。
もう二度と収納家具は買わない。
見る度に「いつかなんとかしなきゃなー」と思っていたものが消えて心晴れ晴れ。実に嬉しい。

そしてもはや本体はないのに残っていたコタツ布団一式も捨てた。
そもそもこれが残っていることすら忘れていた。
そういうものは結構ある。

まだまだ片付けられそうなものはあるけれど、とりあえず大物はほぼ片付いたと思う。
気持ちよく新年を迎えられそうです。





お買い物日和 [日記]

昨日は東京へ買い物に行ってきました。

東京駅構内で、誰かを待っている様子の人垣を発見。
近くにいたお姉さんに聞いてみると、
「噂では羽生結弦くんじゃないかって」
とのこと。
あー、ありそうですねー、なんて話しながら待っていると、やってきたのは……

皇太子さまでしたー。

殿下はにこやかなお顔で国民の皆様に応えながら、足早に新幹線改札口へ入っていきました。
今にして思えば、いくら人気者とは言え、ゆづにしては物々しい警備であったわい。


大丸で可愛いカーディガンを見つけたんだけどお値段が38,000円で、
「あらこれいいわね。いただくわ」
とはさすがに言えなかった。

その後、ダウンのベストを買う気満々でモンベルへ行ったんだけど、ジッパーの最初の噛み合わせがすごく難しくて、どんなに頑張っても開かない。なんとか開いたと思ったら閉まらない。
頭に来たので買うのをやめた。

結局、ミズノのダウンベストを買ったんだけど、お店のお姉さんがぼんくらでイラッとした。
一括で、と言ってカードを渡したのに、お支払いはどうされますか? と聞く。
終始この調子。
イメージいただけて?

最後には希望通りのバッグを手に入れて大満足。
これでようやく黄ばんだボロバッグを捨てられる。


たまには買い物のためだけに東京へ行くのも楽しいね。



職場と記久子と節子 [日記]

最近思ったことを徒然と。


1.職場身軽化計画

自宅の身軽化計画がほぼ完了したので、職場の身軽化計画に着手。
色々と整理したら、長机を一つ処分できた。
その結果、今まで不便だった動線がとても快適になった!
すごく嬉しい。
とっても嬉しい。

今まではぐるっと回ったどん詰まりのようなところに座っていたので、なんとなく気詰まり感があったのだけれど、外への出入りがしやすくなって気の流れが良くなったように感じる。

空気も、水も、血液も、人も、お金も、循環することで良くなっていく。
滞留するとよどんでしまう。
流れを良くしていきましょう。


2.津村記久子の新刊

津村記久子が10月に出した新刊が面白そうなんだけど、品薄状態でなかなか手に入らない。
出版社が津村人気を甘く見ていたのか。
いや、津村さんのことだから、「そんなに売れないと思うので初版は半分にしてください」とか言ってそうな気もする。

「面白いけれども、きつい仕事に燃え尽きてしまった36歳の女性主人公が、異なる5つの仕事を経て、自分と仕事との健全な関係を取り戻すまでを描いた連作短篇」

絶対面白いって!

地元の図書館にあるんだけど、応援したい作家なので、津村さんにチャリンとお金が入る形で読みたい。
日本経済新聞出版社よ、さっさと重版しなさい!

津村さんの描く女主人公の年齢が少しずつ上がっているのは、やはりその時の津村さんの年齢で書いているからなのか。これから先、女主人公たちは39歳、44歳、と年を重ねていくのだろうか。
彼女たちと一緒に年を重ねていけることが嬉しい。


3.原節子

原節子さんが亡くなったそうで。
むしろ私は「生きてたんだ!?」と思いましたが……。
伝説の大女優として名前と顔は知っていたけれど、「東京物語」すら観たことのない私は、この大女優に関して語れる何物も持っていない。
ただ、ニュースでちらっと聞いたその生き方に圧倒された。

42歳で謎の引退。その後はほとんど公の場に顔を出すことなく、義兄の自宅の離れでひっそりと暮らしていたという。生涯独身。
時折買い物に出る姿を近所の人が見かけるだけで、あまり人に会うこともなく、本を読んで過ごしていたらしい。
あれだけの華やかな風貌と輝く経歴の持ち主が、一転してそのような隠遁生活に入ることの不思議。
そして、家人以外とはほとんど関わらない引きこもり生活で95歳まで生き続けたこと。
晩年の様子はまったく分からないけれど、おそらく最期まで頭はしっかりしていたのではないかと勝手に想像している。
一体、どんな本を読み、どんなことを考えていたのだろう。
今となっては知る由もないけれど。





人生身軽化計画 [日記]

人類家畜化計画……じゃなくて、人生身軽化計画進行中。
要は、すごい勢いで物を捨てている。

夏ぐらいから少しずつ減らしていたのだけれど、最近はちょっと病的じゃないかってくらいの勢いで捨てている。
とにかく捨てたくてたまらない。捨てるのが気持ちいい。
おお、依存症。

服は少なくとも衣装ケース3つ分は捨てている。
でもまだ捨てる余地がある気がする。

そして今日はダンボール箱7箱分の本を処分した。
おかげで本棚を一つ空けることができた。
ブラボ〜〜!

面白く読んだ本でも、再び読むことは滅多にない。
今の世の中、たとえ絶版になっていても、よほどの希少本でなければ簡単に手に入る。
読みたくなったらまた買えばいいのだ。
本の保存と管理にかかる手間とコストを考えたら、必要な時に買ったほうが断然いい。
そう思って、ガンガン捨てている。

憧れは「起きて半畳、寝て一畳」の雲水生活。
ま、無理ですけどね。





迷い犬 [日記]

ある朝、うちに迷い犬が入り込んだ。
ゴールデンレトリバーの雑種のような大型犬が軒先に伏せている。
とても疲れた様子の老犬で、あまり動かない。まったく吠えない。
おとなしく、よく人に慣れていて、間違いなくどこかで飼われていた犬と思われた。

見るからに病気の老犬で、歯槽膿漏で歯はだいぶ抜け落ち、腹部に大きなできものがある。
きっと持て余した飼い主に捨てられてしまったのだろう。

私はせめて水くらいはやりたいと思ったのだが、あまり犬が好きではない両親に止められた。
すでに警察に連絡してあるという。

ほどなくしてパトカーがやってきた。
警官のうちの一人は犬好きらしく、慣れた様子でその犬を撫でている。
「捨てられちゃったかなぁ」
と、同じような見立てであった。

迷い犬はどうやら拾得物ということになるらしい。
「お宅で飼ってもらうのは無理ですよね?」
と聞かれたが、両親が病気の老犬を飼うわけがない。
まあ、大概の人は飼わないと思うけど。

そうなると、警察で引き取ってくれるらしい。
犬は大人しくワゴン車に乗せられていった。
最後まで一言も吠えなかった。

警察は調書を残して去っていった。
今年入ったばかりと思われる若い警官が書いた調書では「犬」が「太」になっていたらしいが……。
まあ、緊張してると簡単な漢字も間違えちゃうことってあるよね。いいよいいよ。

引き取られていった後も、その犬のことがずっと気になっていた。

警察でどれほどの期間を預かってくれるのかは分からないけれど、いずれは保健所へ行くのだろう。
そして最終的には殺処分となるだろう。
それを考えると、警察に電話をしたことは、殺処分への第一歩を踏み出したことになるんじゃないかと思った。

私だったらどうしたかな、と考えてみる。
たぶん警察には連絡しなかっただろうと思う。
そもそも、警察が迷い犬の面倒まで見てくれるなんて知らなかったし。

おそらく、水と餌をやって、ウチの軒先にいたいならいさせてやっただろうと思う。
飼うまでの責任は持てないけれど、それくらいはしてやってもいいかなと思った。
もうあまり長くは生きないように見えたし、飼い主にまで見捨てられたのだとしたら、ウチに来たのも何かの縁なのだろうから、最期を看取ってやりたいような気もした。
飼い主に裏切られ、最期は殺処分だなんて、切なすぎる。

そんなことを考えて、若干の正義感と自己陶酔に浸っていたことは否めない。

翌日、警察から電話があった。
なんと飼い主から連絡があったらしい!

なんとなんと。

我が家でも警察でも「病気の捨て犬」とみなされていた老犬が脱走!?
一体、どういう状況で??
獣医さんには見せているのかしら??

色々と腑に落ちない点はあるけれど、まあよかったよかった。

そして思った。
「警察に電話をするべきではなかったのではないか」
という私のちっぽけな正義感は、結果として間違っていたことになる。
邪魔だからなんとかして欲しいと思って掛けた電話が、結果として感謝される行為となった。

世の中わからんもんだなぁ。





ひとりディズニーランド [日記]

ひとりディズニーランドへ行ってきました。

一応友達を誘ってみたんだけど日程が合わなくて、なんかもうめんどくさくなっていっそのこと一人で行ってみようと。

行ってみると、別にどうということもなかったです。
一人で来ているらしき人はけっこういて、みんな自由にやってました。
一人旅に慣れている人なら問題なく楽しめると思います。


どうやらハロウィンの仮装期間らしく、ディズニーキャラのコスプレをした人がうじゃうじゃいました。
みんなかなりハイレベルです。
90%以上が女性で、アナ雪率が40%(主観的印象)
たまに彼氏だかダンナだかを王子にして連れて歩いているのを見かけましたが、正直、なんだかなぁ……、と思ってしまった。

だってどうしたって王子じゃねーんだもの。。。
女子は日本人がお姫様になってもそれなりに可愛いのに、日本男児はどう頑張っても王子になれないのはなぜなんでしょうね。

コスプレの人々を見るのはそれなりに楽しかったですが、おそらくその関係でいつもはあちこちで見かける正規の被り物たちがほとんどいなかったのはちょっと残念でした。


さて、アトラクションに一人で乗るのはやっぱりつまらないので、ショーやパレードを見たり、ゆっくりお土産を見たり、ハロウィンバージョンのパーク内をブラブラしたりして過ごします。

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ゴミ箱までハロウィン。


一人でもそれほど寂しい思いはしなかったけど、どうしても内省的になるので魔法はかかりにくくなります。
パレードなどを見ながら、「こういうものを企画する人がいて、それを素直に楽しむ人がいて、半分冷めた目で見てしまう私のような人間がいるのだなぁ」とか考えます。
それから、ディズニーで働く人のヒエラルキーとか、日本のディズニーで働く外国人について考えたりもします。

それと、なぜかわからないけれど、ディズニーランドのイッツアスモールワールドとディズニーシーのシンドバッドを見ると、「資本家と労働者」というテーマが浮かびます。
いつもそうです。
なぜかは分かりません。


時間を持て余したら本でも読もうかと思っていたのですが、あまり落ち着いて読めません。
読書には向かないようです。


夕方には帰ろうかなぁ、と思っていたのですが、うっかりワンスアポンアタイムの座席指定券が当たってしまった。
閑散期でも当選確率2割といわれる難関。
これは是非見てから帰らねばなりません。

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うむ。さすがディズニー。完成度高いね。
これは機会があればまた見たいなぁ。


一人で行くと、お土産を自由にゆっくり見られるし、疲れたらカフェなどで遠慮なく居眠りできるし、結構気楽でいいな、と思いました。
でもやっぱり誰かと一緒に行った方が楽しいかなぁ。
ひとりディズニーというのは、年間パスポートを持っている人の贅沢な楽しみ方のような気がしました。






東京ランド [日記]

東京の大学に4年通って、東京で7年自活して、実家に戻った今も月に1,2回は東京へ出かける。
だから、東京へ遊びに行ったからといって今更何ということもないのだけれど、なんだか最近、東京の繁華街へ出ると、ふと外国に来たような気持ちになることがある。

特にオフィス街などがそうで、天井の高いエントランスホールを見ると「外国っぽーい」と思うことがある。
都会だー、ではなく、外国っぽーい。
なんだか文化の違う場所に来た気がするのかもしれない。

細身のスーツを身にまとって左右非対称の髪型をした若いサラリーマンを見ると、ちょっとテンションが上がる。
そして思わず笑ってしまう。
「オシャレリーマンだ! オシャレリーマンがいる!!」
サムライのコスプレをした人を見かけたガイジンのごとく。

なんで最近になってそう感じるようになってしまったのか、自分でもよくわからない。
北関東の農業王国に馴染み過ぎたのか。
ていうか、そもそも私の本性はこっちなのだけれども。


そんなわけで、先日、友人と虎ノ門へ行った時も、やはり外国に来たような気がした。
友人は、エクセルシオールが虎ノ門仕様でちょっとお高くてオシャレで外人が多くて店員が英語をしゃべる、と興奮気味に話した。
東京生まれ東京育ち東京在住の人が今更なにを驚いているのか、と私は若干冷ややかな気持ちで聞いていた。
だからというわけでもないが、南インド料理の店へ行った。

店の名前は「ニルワナム」という。
ニルヴァーナではないのか、いやおそらくそういう意味で読みが違うだけではないか、ニルヴァーナは涅槃だったか、涅槃とはそも何であるか、ちょっとニルヴァーナ行ってくるとかそういうお手軽なものなのか、それでいいのか、などと話しながら入店。

ランチバイキングだったので、席に案内された後は放置される。
サラダとカレー数種とその他。
うまいものもあれば、イマイチなものもあった。
バイキングだのビュッフェだのいうものは、たくさん食べられるということとは逆の意味で、自分が食べたいものを自分の食べたい量だけ食べられることが私にはとても有難い。

その後、話には聞いていた播磨屋へ。
虎ノ門駅のすぐ近くに、広いイートインスペースを備えた店舗を構える。
日替わりおかきセット200円を買うと、イートインスペースでコーヒー、紅茶、ほうじ茶、オレンジジュースなどが飲み放題。
お席もたっぷり。

ここの社長が思想的にちょっと変わった人で、
「地球革命です天皇陛下」
とか
「日本一力持ち自衛隊よ 皇太子奉じ王道クーデター起こせ」
とか
「打ち首獄門ぞ安倍総理」
などといった広報車を走らせているそうだ。

おかきやさんがなぜそのような思想を抱くに至ったのか、あるいは逆にそのような思想を抱く人がなぜおかきやさんになったのか、非常に興味深い。

そんなおかきを食べながら、
佐藤優の本を読むのはどのような層なのか、本屋へ行くと何冊も平積みになっているから売れているのだろうが佐藤優の本を読むという人は貴方以外に会ったことがない、それはお互い様だ、
とか、
津村記久子は結婚をあきらめているのか、いやそもそも結婚する気がないのではないか、もしかして結婚しているのか、結婚してなかったと思うが、電撃結婚とかあるかもしれん、しかし津村記久子の電撃結婚の報に衝撃を受けるのは我々くらいではないのか、
といったような話をした。

その後、東銀座へ場所を移し、ホテルのラウンジでケーキセットを食す。
ゆったりとした席で、ホテルのロビーを眺めながら「今のガイジン、二人ともイケメンだったね」などと話しつつ、オシャレでおいしいケーキをいただいていると、なんだか今日は女子力高い一日なんじゃないかという気がしてきて、友人にそう伝えると、なにいってんの、と冷ややかな目で見られた。

改めて考えてみると、涅槃でカレーを食べて、クーデターをそそのかすおかきやで佐藤優や津村記久子について語るというのは、あまり女子力の高い人のやることではなかった。


ホテルのラウンジを出て晴海通りを歩いていると、夜の始まりの時間帯に「さあ、これからですよ」とでも言うかのようにネオンサインが輝いていて、私は再び外国に来たような気持ちになった。
銀座の通りを写真に撮る外国人観光客の気持ちが今なら分かると思った。
そのことを伝えると、友人は冷ややかな目で私を見て離れていった。


友人を連れ戻し、私は「居酒屋へ行きたい」と提案した。
ここ2,3週間前から、私はなぜか居酒屋というものに不思議な憧憬を抱くようになっていた。
自宅の最寄り駅の寂れた駅前通りにある数件の居酒屋にすら、私は憧憬のような郷愁のような、なんとも言えない気持ちを抱いていた。
そのあたりで数人で連れだって歩くサラリーマン風の人々などを見ると、なおのこと羨望のような気持ちになった。

私はお酒がほとんど飲めないので、酒に対する興味がまったくないし、職場の飲み会も苦痛なので行かない。
東京で働いていた頃はそれなりに飲み会にも出ていたので、居酒屋や飲み会自体が珍しいわけではない。
私のこの憧憬のような感情が一体何なのか、そもそも何に対する憧憬なのか、さっぱりわからない。
さっぱりわからないが、私はとにかく居酒屋に行きたかった。


適当に選んだ宮崎地鶏の店はなかなか良かった。
お腹はすいていなかったので、地鶏の炭火焼とサラダと飲み物だけを頼み、人生における鬱屈とそれを慰める華について(?)語り、二時間ほどで店を出る。
こういう利用のしかたもなかなかいいなぁ、と思う。


私にとってもはや異国となってしまった東京を楽しみ、分不相応なグリーン車に乗って北の農業王国へ帰って行ったのでした。






暮れなずむトイレの棚 [日記]

みなさま、お盆休みはどのようにお過ごしになられたでしょうか。
私は本読んで、ぐーたらして、子供たちの襲撃を受け、本読んで、TVでラグビー見て、終わりました。

そんなお盆休み最大の出来事は、トイレに棚を設置したこと!!!

私のトイレには棚がないので、つっぱり棒的な物でとりあえず間に合わせていたのですが、使っているうちにだんだんとひん曲がってきて、見栄えもイマイチだし、もうちょっとこう、なんとかならんもんかと、トイレに入るたびに思っていたのでした。
6年くらい。

一念発起し、ついに棚を設置しました。
無印の壁につけられるシリーズです。

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暮れなずむ我がトイレの棚。
いいねー。郷愁を誘うね。
トイレに入るたびにニヤニヤと眺めております。

なかなか可愛く仕上がったと思うのですが、端の方に垣間見える本が「仏教の思想 7 無の探求<中国禅>」というあたりが、あんまり可愛くない。

現在苦戦中のトイレの友。
3年以上かかっている。
いつの間にかKindle版が出ていて、それだと半額以下で買えるんだけど、紙の本をトイレに置いておくからこそ読み通せるこのシリーズ。
私はこれからも紙でお付き合いさせていただきます。
(いざというときにはトイレットペーパーの代わりにも……)






物理学者との対話 その2 [日記]

再び、物理学者との対話が発生した。

今回は「瞬間移動」について。

ある瞬間のある人間を原子レベルに分解して、別の場所に、電子の位置もまったく同じに再現して原子を組み立てたら、同じ人間がそこに現出するのではないか?

原理としては理解できる、と物理学者は言う。
問題は「意識」もそこに再現できるか、だけど。

物質主義に立つのであれば、おそらく意識も勝手に現れるだろう。
記憶も完全に再現できるだろう。

でもこれだと、元の人間を消滅させなくては同じものが2体できてしまう。
消滅させるために殺すというのもね……。

ここから「移動」ではなく「コピー」の話になる。

物質的にはまったく同じに作っても、別の環境に置かれた途端、それは別の人間となってしまう。

では、コピーには自分がコピーであるという自覚はあるだろうか?

「自分がオリジナルである」というアイデンティティを持った状態を複製するのだから、コピーもまた「自分がオリジナルである」というアイデンティティを持つのではないか。
オリジナルがこの場所にいた、という証拠を残しておかないと、どちらがオリジナルでどちらがコピーかという区別はつかなくなる。

しかし考えてみたら、我々は何かのコピーとしてこの世界に放り込まれたのかもしれない。
自分の意志でこの世界に来たのではなく、気付いたらここにいたわけだから。

そんな感じで「こっち側」(どっち?)の話をしたのでした。
面白かった!