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お盆休みに読んだ本 [本]

​お盆休みは特にどこへ行くということもなく、だらだらと本を読んでいました。
とはいえ、読んでやったぜ! という達成感もなく、あっちこっちをつまみ食いして終わった感じです。

ずっと読みさしになっていた中井久夫の「世に棲む患者」を読了。
一般向けもあるが、医療関係者向けの文章が多いので素人にはやや読みにくい印象。
中井先生は精神医学を純粋な科学とはとらえていないようだけれど、一方で代替医療や宗教に対して、否定的とまでは言わないものの、一定の距離を取っているのが印象的だった。

ところで近所の本屋に「中井久夫 (KAWADE夢ムック 文藝別冊)」が置いてあって、田舎町のさして大きくもない本屋にこういう本が置いてあるというのは捨てたものではないなぁ、と嬉しくなった。
「今読みたい本」ではなかったからその時は買わなかったけど、街の本屋さんを応援する意味で買っておいても良かったかもしれない。

代わりに買ったのが池谷裕二の「できない脳ほど自信過剰」。
かるーく読めて面白かったけど、一つも付箋を貼ることなく読み終えてしまった。
後日、図書館で見つけて少々がっかりした。

丹羽宇一郎の「死ぬほど読書」は「はじめに」と目次だけ立ち読みした。
冒頭で、以前に私も記事にした朝日新聞の投書のことが書いてあった。
本を読むことに否定的な大学生や中学生の意見に対して抱いた感想が似ていて、経済界の大物とは言え、78歳のご老体と同じとは、私の頭も大概かたくなっているなぁと寂しくなった。

「書店員X」は本の内容にはあまり興味がなかったけれど、巻末で清水潔のお勧めする本がどれも面白そうで、このブックガイドのためだけに買ったようなもの。
著者の長江さんが非常に影響を受けたという山田玲司「非属の才能」がKindle unlimitedの読み放題対象になっていたのでパラパラと読んでみたが、ニート経験はあるものの、ひきこもり経験のない私の心にはあまり響かなかった。
「非属」とか「群れない」とか言っている割には、最終的には「変わり者で一匹狼の俺だけど、今はこんなに楽しくやってるぜ」と自分の交友関係や対人スキルを喧伝していることに、不器用な私は混乱してしまう。
以前にこの本に感銘を受けたと話していた職場のおじさんは、腹の見えない二枚舌の狸親父であることを思い出して、なにやら納得した気持ちになった。
「書店員X」自体はまだ読んでいない。
清水潔のブックガイド以外は拾い読みして終わりだと思う。
長江さんのブックガイドにはそれほど食指が動かないが、BLマンガが含まれているのはさすが書店員。

去年買ってずっと積読本になっていた加藤陽子の「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」にようやく手を付けたが、予想外に読みにくかった。
中高生に対する特別講義を本にしたものだから読みやすかろうと思っていたのだったが、この中高生がただの中高生じゃなくて名門私立校の歴史研究会だかなんだかのメンバーなので、私なんぞよりよほど知識がある。
それでもって結局は「先生」による「授業」なのであまり歴史のダイナミックさが感じられず、面白く読み進められない。
でも日清戦争から昭和の戦争までの「勉強」にはなると思うので頑張って読み切ろうと思います。
これからようやく第一次世界大戦です。

加藤先生にてこずった反動で、299円という安さもあり、半藤一利と佐藤優の「21世紀の戦争論 昭和史から考える」を買ってしまった。
対談形式なのでとても読みやすい。
まあしかし、こういう本をさらに面白く読むためには、基本的な歴史を頭に入れておく「勉強」がやっぱり必要なんでしょうなぁ。




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旧漢字旧仮名遣いの中島敦 [本]

旧漢字旧仮名遣いの中島敦が読みたくて、筑摩から出ている文庫じゃない方の中島敦全集第一巻を買いました。
2001年に新版が出ていますが、ちょっと興味ある程度で買っていいお値段ではないので、旧版の方を中古で購入。
前の所持者はあまり読み込まなかったと見えて、外装はそれなりに古びていますが中身はほとんど使用感なし。
いい買い物をしました。

旧仮名はともかく、旧漢字はさすがに読めないものがちらほらでてくる。
大体は文脈で推測できるけれど、どうにも読めない字もある。
そういう字はそのままで読み進んでいくと、再び遭遇してサンプルが増えることで「ああ、〇〇か!」とついにわかるのがまた面白い。

第一巻は小説を完全収録。
惜しくも早世した作家なので、全制覇は難しくない。
以下、備忘録として全タイトルと私の読書状況を記載します。
既読は他の文庫本等で読んだものを含む。

「斗南先生」   未読
「虎狩」   未読
「かめれおん日記」   未読
「狼疾記」   未読
「狐憑」   既読
「木乃伊」   既読
「山月記」   既読
「文字禍」   既読
「光と風と夢」   既読
「悟浄出世」   既読
「悟浄歎異」   既読
「幸福」   未読
「夫婦」   未読
「鶏」   未読
「環礁」   未読
「盈虚」   既読
「牛人」   既読……?
「名人伝」   既読……?
「弟子」   既読
「李陵」   既読
「章魚木の下で」   未読

すでに読んだものの中では「山月記」「文字禍」「悟浄出世」「悟浄歎異」が好き。
「牛人」「名人伝」は江守徹の朗読が頭に鳴り響く。
「光と風と夢」は最長小説。残念ながらあまり面白くはない。
「弟子」は論語の読み下し文がところどころに引用されるが漢学の素養がないため意味が解らないのが悲しい。



新旧翻訳比較 [本]

相変わらず社内ニートで暇なので、海外文学の新旧翻訳の比較をしてみることにした。

まずはドストエフスキー「地下室の手記」冒頭。

 俺は病んでいる……。ねじけた根性の男だ。人好きがしない男だ。どうやら肝臓を痛めているらしい。もっとも、病気のことはさっぱり訳がわからないし、自分のどこが悪いのかもおそらくわかっちゃいない。医者にかかっているわけでもなければ、今まで一度もかかったこともない。医学や医者は立派なものだとはおもっているのだが……。そのうえ、俺はこのうえもなく迷信深いときている。まあ、少なくとも医学を立派なものだと信じこむほどには迷信深いわけだ(迷信を馬鹿にする程度には、教育も受けているはずなのだが、とにかく迷信深いのだ)。

(光文社古典新訳文庫 安岡治子訳)

 ぼくは病んだ人間だ……ぼくは意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ。ぼくの考えでは、これは肝臓が悪いのだと思う。もっとも、病気のことなど、ぼくにはこれっぱかりもわかっちゃいないし、どこが悪いのかも正確には知らない。医学や医者は尊敬しているが、現に医者に診てもらっているわけではなく、これまでにもついぞそんなためしがない。そこへもってきて、もうひとつ、ぼくは極端なくらい迷信家ときている。まあ、早い話が、医学なんぞを尊敬する程度の迷信家ということだ。(迷信にこだわらぬだけの教育は受けたはずなのに、やはりぼくは迷信をふっきれない。)

(新潮文庫 江川卓訳)

私はロシア語はハラショーしか知らないので、訳の正確さは度外視して日本語としての好みだけを述べますと、断然、江川訳が好きです。
自分が意地の悪くて人好きのしない男であることを、肝臓のせいにする最初の一行目がたまらなくイイ。
こういう、根拠のない割には力強くて妙に説得力のある主張がドストエフスキーの登場人物の魅力だと思っている。


続いて、ナルニア国物語の「魔術師のおい」の冒頭からちょっと進んだところ。

ある朝、ポリーが裏庭に出た時、ひとりの男の子がとなりの庭からよじのぼって、塀の上に顔を出しました。ポリーはひどくおどろきました。それまで一度だって、となりの家には子どもがいたためしがなかったからです。ケタリーさんという、どちらも独身の年とった兄と妹が、いっしょにくらしているだけです。ですからポリーは、好奇心がうずうずして、その子を見あげました。その知らない男の子の顔は、すごくよごれていました。そのよごれかげんといったら、まず土をこねくりまわしたあとで、さんざ泣いて、そのあげく、よごれた手で顔をふいたとしても、とてもこれほどにはなるまいと思われるくらいでした。いや、じっさいのところ、この男の子は、それに近いことをしてきたところでした。

(岩波少年文庫 瀬田貞二訳)

(ポリーが)ある朝、裏庭で遊んでいたとき、となりの家の庭から男の子が塀をよじのぼって顔をのぞかせた。ポリーはびっくりした。というのは、それまで、となりの家に子どもが住んでいたことなど一度もなくて、ケタリー氏とケタリー嬢という年取った独身の兄と妹が住んでいるだけだったからだ。ポリーは興味津々で男の子を見上げた。はじめて見るその子の顔はひどく汚れていた。両手で泥いじりをして、それから大泣きして、その手で涙をぬぐったとしてもこれほどは汚れないだろう、というような汚れかただった。じっさい、男の子はそれとほぼ同じようなことをしていた。

(光文社古典新訳文庫 土屋京子訳)

あまり違いはないような気もするけれど、やはり慣れ親しんだ瀬田訳が好きですなぁ。
土屋訳が悪いわけではないのだけれど、上品で美しくて優しい瀬田訳があるのにあえて新訳する理由が、私には全然わからない。

ちなみに二人が屋根裏部屋にリンゴとサイダーを隠し持っているシーンが好きだ。
ん? ビスケットだっけ?

概して新訳より旧訳が好きな保守的な私です。



読書はしないといけないの? [本]

現在、あまり本腰を入れて本を読んでいないので、記事を書くほどのこともないのですが、なんでもいいからたまにはアウトプットしないとインプットの効率が悪くなる気がするのでダラダラと書いてみようと思います。

現在ぐるぐると回しているのは以下の6冊。

「老子」 (講談社学術文庫)
「菜根譚」(角川ビギナーズクラシックス)
「孫子・三十六計」(同上)
「論語」(同上)
「万葉集」(同上)
「私の岩波物語」山本夏彦

この他にらせん三国志も継続中。

読まずに積んであるのが以下の3冊。

「木曜日だった男」チェスタトン
「マイナス・ゼロ」広瀬正
「それでも、日本人は「戦争」を選んだ 」加藤陽子

それから、もうやめようと思っているのにやっぱり読んでしまう佐藤優を2冊ほど読んだ。

「人生の極意」 
↑人生相談が大好物なので読まずにいられない。自分も頑張ろうと思える。

「自分を動かす名言」
↑名言というものは個別で見るとなるほど名言だけれど、集めると矛盾していたりするものだ。


今日の朝日新聞の投書欄に「読書はしないといけないの?」という大学生の投書と、それに対する反響のお手紙が特集されていて興味深かった。
きっかけとなった投書をしたのは教育学部の大学生で、大学に入って本を読むようになったけれど、読まなくても問題ないのではないか、それよりもアルバイトや大学の勉強の方が大事ではないか、と感じるそうだ。
これに同意する中学生の投書によると、読書は効率が悪く、役に立つのか分からないので魅力を感じないという。

なるほどなぁ、と新鮮な気持ちでこれらの意見を読んだ。

若人たちの読書に対する反発というのは、「読書=善」という押しつけに対する反発があるような気がする。
本を読むことはいいことだ、本を読まないことは問題だ、という言説が流布しているがために、読書に対して「必要」「効率」「役立つ」という言葉が出てくるのだと思う。

私自身は平均的な日本人よりは本を読む方だと思うけれど、別にそれが特別良いことだとは思っていなくて、むしろ本を読むことくらいしかすることのない気の毒な人だと思っている。
年間に数百冊、数千冊読むようなレベルになればそれも生きていく上での武器になるかもしれないけれど、私程度の読書量では毒にも薬にもならぬただの暇つぶしでしかない。

だから、若人たちの「なぜ本を読まなければいけないのか」という問いに私が答えるならば、「別に読まなくてもいい」となる。
読書が必要な人はいずれおのずと本を読むようになるし、一生必要のない人は一生読まない。
本を読むことでなんとか自分を繋ぎ止めて生きながらえているような私からすると、読書の必要のない人は羨ましいほど幸せな人だと言える。



ただいまの三国志 [本]

ただいま、吉川三国志は劉備がしれっと蜀へ乗り込んでいったところです。
横光は周瑜が死んで、劉備一味が荊州南部を奪い取るところ。

いやー、吉川周瑜いいね!
今まで周瑜って全然興味なかったけど、今この時点で「三国志で誰が好き?」って聞かれたら周瑜って答えるかもしれない。
「どこが好き?」
「すぐ興奮して血を吐くところ[黒ハート]

完全に孔明にコケにされてますね。
改めて読むと、孔明ってホント性格悪いね!
周瑜のことバカにしすぎだよね。

呉の立場からすると、劉備一味ホントひどい。
赤壁で実際に戦ったのは呉の皆さんなのに、しかも曹操と戦う羽目になったのって劉備のせいなのに、戦利品としての荊州を孔明に乗っ取られ、頼みの綱の大都督周瑜は「おのれ、孔明~~がはっ」って死んじゃうし。
気の毒に……

蒼天航路は荊州に攻め込んできた曹操の大軍から劉備と民衆たちが逃げてるところ。
蒼天劉備は比較的うざくないと思っていたけれど、やっぱりうざいね、この人。

「時の地平線」も同じ辺りで、開戦を説くために孔明が呉に乗り込んでいったところ。
この孔明、正装するとどう見ても女でなぁ……服装も髪型も。
そんでもって曹操が鋭い顔つきのごつい武人で、この二人が戦場で邂逅したりするもんだから、どうしても私にはBASARAの朱里と更紗に見えてしまってなぁ。。。
普段の悩める青年孔明と鮮やかに呉を説き伏せる説客孔明が全然融合してなくて違和感。
ちなみにこちらの周瑜は黒髪長髪の美形でサナトリウム的に血を吐く。見た目には江森孔明、というか小林智美画伯の孔明にそっくり。

近頃スピードが落ちてきたらせん三国志です。



最近買った本 [本]

普段雑誌は買いませんが、選手名鑑が欲しかったので購入。

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○○名鑑の類いが大好きです。
舐めまわすように読み込みます。

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山本夏彦に洗脳されているので、お気に入りの角川ビギナーズ・クラシックスシリーズから4冊購入。
いずれも物語ではないので順を追って精読する必要はなく、ぱらぱらと気になる部分を拾い読みしています。



完本 文語文 [本]

三国志とか三島とか佐藤優とか、立て続けに古典への示唆を受けた結果、amazonの神のご宣託によりこの本を読むに至りました。

「完本 文語文」 山本夏彦



ご無沙汰しておりました、山本翁。
「年を歴た鰐の話」以来でございますねぇ。

山本夏彦の本は2,3冊しか読んでいないのだけれど、私が歌舞伎を観るようになったのは紛れもなくこの人がきっかけで、受けた影響は計り知れない。

この本は日本伝統の文語文について書いた文章をまとめたもの。
引用される名文の美しさ、リズムの心地よさ。
やんぬるかな、その伝統は明治で途絶えてしまったと山本翁は嘆く。
いまさら文語文に戻れと言っているわけではない。それはもはや不可能である。
父の影響で明治の文章に親しんだ山本翁ですら、文語文は書けないという。
しかしまだ滅びきっていない語彙がある。それらを惜しむ。

百人一首すら暗誦できず、四書五経の素読など受けたことがない私の身において、文語文は骨にも肉にもなっていない。
しかし血の数滴くらいには混ざっていると思いたい。

解説の徳田孝夫の言葉に希望を見る。
「われわれはもう二度と文語文に戻れない。だが古人に学び古典を写し、型を覚えることはまだ可能である。」

四書五経は無謀すぎるとして、史記全巻とは言わないまでも、古来より規範と言われたその文章に触れることは無駄ではあるまい。
でもいきなりちくまとか岩波とかに手を出すとすぐ挫折しそうだから、まずは故事成語を知るレベルを目指すということで横光史記から始めるのはどうでしょう。



まだ三国志も読み終わってないのに!



朗読CD [本]

漢学の素養とかそんなことを考える流れで、Amazonの神から「こういうのも読んでみたら」と勧められて、山本夏彦の「完本・文語文」を読みました。
この本のことは後日改めて記事にするとして、音としての日本語の心地よさというものを感じたくなって、以前から愛聴している「山月記」「名人伝」「牛人」の朗読CDを聞いた。

江守徹の朗読でね、すごくいいんだよ。
抑揚といい、緩急といい、豊かだけれどわざとらしくない。
もう何度も聞いているので頭に刷り込まれている。
私にとって、中島敦の上記3作品は江守徹の朗読とほぼ一体化していると言っても過言ではない。
物語を耳から聞く、ということはいいものだなぁ、としみじみと感じた。

朗読には朗読の良さがあるけれど、しかし難点もある。
それは朗読者との相性があるということ。
作品と朗読者との相性もあるし、聞く人と朗読者との相性もある。
私の経験上、これは合わないことの方が多い。

夏目漱石、梶井基次郎、藤沢周平など、図書館にある朗読CDを他にもいくつか借りたことがあるけれど、何度も聞くほどに惚れ込んだのは江守徹の中島敦のみ。
ほとんどが途中で聞くのをやめた。

先日、図書館で「李陵」の朗読CDを借りてきた。
朗読は日下武史。
長いのでまだ途中までしか聞いていないけれど、これもなかなかいいぞ。
江守徹とはまた違った淡々とした読み方が、西の不毛地帯を北征する絶望的な行軍に合っている。

もう一つ借りたのが雨月物語。
これは好悪が半々といったところ。
重みのある女性の声は雨月物語の雰囲気に合っているのですが、抑揚をつけすぎて鬱陶しい場面が多い。
例えば、私が一番好きな「青頭巾」の中でも、極めつけだと思うこの箇所。

「其肉の腐り爛るるを吝(おし)みて、肉を吸ひ骨を嘗めて、はた喫(くら)ひつくしぬ」

腐った死体を喰らうというおぞましい行為をあえて淡々と描写しつつも、死体を貪る坊さんの心中の慟哭が聞こえてくるような名文だと私は思っているのですが、この箇所を某国の国営テレビに出てくるカリスマ女性アナウンサーのような激しい抑揚で読むので、その調子に驚いて内容の凄まじさが消えてしまう。
私は怒りすら覚えた。

逆に、破れ寺にて深夜、鬼となった坊さんが客僧を探して「禿驢いづくに隠れけん、ここもとにこそありつれ」と叫んで走り回る場面は緊迫感があってよかった。
ここは抑揚というよりは緩急がついているからいいのかもしれない。

おしなべて朗読というものはあまり感情をこめない方がいいらしい。

さて、この雨月物語のCD全5枚組のうち1枚は河合隼雄による談話解説が入っています。
これが実にいい!
河合先生は稀代の聞き上手であるだけでなく、話し上手でもあられる。
柔らかな語り口もいいし、お話の内容がすこぶる面白い。
「こういう人、今の世の中にもたくさんいますね」
「主人公のように、運命から逃れよう逃れようとすると、かえって運命に近づいて行ってしまうということはよくあります」
聞きながら思わず大きく頷いたり、唸ったりしてしまう。
5枚全部、河合先生の解説でよかったんじゃないか?



古川日出男訳 平家物語 [本]

池澤夏樹プロデュースの日本文学全集のうちの1巻として、古川日出男訳の平家物語が出ていることを知った。



昨日、図書館で手に取ってみたのだけれど、厚さが6~7センチくらいある大著。
総ページ数、908ページ。
大変な大仕事です。お疲れ様でした。

原文を一切省略することなく、すべて訳出したとのこと。
それでいて現代の琵琶法師を目指す語り口。
さすが古川日出男。

たぶん間違いなく面白いだろうし、感謝したいくらいの人選だし、もし私が平家物語の全文を読みたいと思ったらこの古川訳を読むだろうけれど、それでも私が本書を読むことはおそらくないと思う。

この大著を読み切るほどには平家物語を愛していないから。

後世に残すべき遺産として古川日出男が完訳してくれた意義は疑いようもなくて本当にあっぱれなんだけれども、さて、どんな人がこの本を読むのかなぁ、と考えてしまった。

平家物語を読んでみたい、という程度の人はこの枕になりそうな本を選ぶことはないだろうし、原文を愛する人は今さら現代語訳なんて読まないだろう。
そうなると、原文はもとより、あらゆる訳を読みつくしたマニアが「どれどれどんな風に訳しているか見てやれ」と読むくらいか。
あるいは熱烈な古川日出男ファン。

せっかくの大仕事なのに、あんまり人の目に触れることがなさそうですごく残念だなぁ、と思ってしまった。
ま、私の心配するこっちゃないですがね。



漢文力 [本]

​吉川三国志を読んでいると、普段目にしないような難解な熟語が出てきて、漢学の素養ということを想います。
そんな折、三島由紀夫のインタビューテープが見つかったというニュースがあり、その中で三島が「漢学の素養がなくなってから日本人の文章はだらしがなくなった」というようなことを語っていると知りました。

漢学の素養って、そもそもなんだ?

そこでこんな本を読んでみました。

「漢文力」 加藤徹



昔ながらの漢学の素養ということについて論じている本ではなくて、もっと漢文を身近に感じてみませんか、あなたの悩みは昔の中国人がすでに考え尽くしたことかもしれません、というような内容です。

この本でいう「漢文力」というのは、漢文の試験でいい点数を取る技術ではなくて、
「漢文を読み、そこに展開されている古人の思索を追体験することによって身につく力。歴史や宇宙など、より大きな時空のなかに自分を位置づけ、明日を生き抜くための設計図を描く力」
とのこと。
おお、いいね。それよ、それ。
私がいまさら漢学の素養を身につけようなんておこがましいにもほどがあるもんね。

論語や荘子など超有名どころの抜粋を白文、読み下し文、口語訳と併記した上で、そこから話題を広げていって、マルクス・アウレリウスの「自省録」や金子みすゞの詩なども引用しつつ縦横無尽に語るエッセイ、かな。
大学での講義を基にしているそうで、こんな授業なら受けてみたいと思いました。
たまに自作の漢詩を載せているのは若干ひくけど……

三国志ネタもちらほら出てきてファンとしては嬉しい。

「魏延よ。孔明にわからなくても、俺にはわかるよ、おまえのその気持ちが」などと心のなかで突っ込みを入れつつ、その人物の人生を追体験できます。

というくだりは色んな意味で笑ってしまった。
うん、わたしにもわかるよ、おまえのその気持ちが。

余談ですが、最近「延べ3000人」とか「延長戦」とか見ただけでニヤニヤするようになってしまったんですがどうしたもんでしょうか。



ついでに、らせん三国志は吉川・横光でいよいよ赤壁に突入しました。
これから曹操が燃えるところです。
蒼天航路は烏丸の袁一族追討戦の最中ですが、郭嘉がもうすぐ死んじゃう上に、孔明がキモすぎてめげそうです。
そろそろ「時の地平線」も織り込んでいこうかしら。