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新旧翻訳比較 [本]

相変わらず社内ニートで暇なので、海外文学の新旧翻訳の比較をしてみることにした。

まずはドストエフスキー「地下室の手記」冒頭。

 俺は病んでいる……。ねじけた根性の男だ。人好きがしない男だ。どうやら肝臓を痛めているらしい。もっとも、病気のことはさっぱり訳がわからないし、自分のどこが悪いのかもおそらくわかっちゃいない。医者にかかっているわけでもなければ、今まで一度もかかったこともない。医学や医者は立派なものだとはおもっているのだが……。そのうえ、俺はこのうえもなく迷信深いときている。まあ、少なくとも医学を立派なものだと信じこむほどには迷信深いわけだ(迷信を馬鹿にする程度には、教育も受けているはずなのだが、とにかく迷信深いのだ)。

(光文社古典新訳文庫 安岡治子訳)

 ぼくは病んだ人間だ……ぼくは意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ。ぼくの考えでは、これは肝臓が悪いのだと思う。もっとも、病気のことなど、ぼくにはこれっぱかりもわかっちゃいないし、どこが悪いのかも正確には知らない。医学や医者は尊敬しているが、現に医者に診てもらっているわけではなく、これまでにもついぞそんなためしがない。そこへもってきて、もうひとつ、ぼくは極端なくらい迷信家ときている。まあ、早い話が、医学なんぞを尊敬する程度の迷信家ということだ。(迷信にこだわらぬだけの教育は受けたはずなのに、やはりぼくは迷信をふっきれない。)

(新潮文庫 江川卓訳)

私はロシア語はハラショーしか知らないので、訳の正確さは度外視して日本語としての好みだけを述べますと、断然、江川訳が好きです。
自分が意地の悪くて人好きのしない男であることを、肝臓のせいにする最初の一行目がたまらなくイイ。
こういう、根拠のない割には力強くて妙に説得力のある主張がドストエフスキーの登場人物の魅力だと思っている。


続いて、ナルニア国物語の「魔術師のおい」の冒頭からちょっと進んだところ。

ある朝、ポリーが裏庭に出た時、ひとりの男の子がとなりの庭からよじのぼって、塀の上に顔を出しました。ポリーはひどくおどろきました。それまで一度だって、となりの家には子どもがいたためしがなかったからです。ケタリーさんという、どちらも独身の年とった兄と妹が、いっしょにくらしているだけです。ですからポリーは、好奇心がうずうずして、その子を見あげました。その知らない男の子の顔は、すごくよごれていました。そのよごれかげんといったら、まず土をこねくりまわしたあとで、さんざ泣いて、そのあげく、よごれた手で顔をふいたとしても、とてもこれほどにはなるまいと思われるくらいでした。いや、じっさいのところ、この男の子は、それに近いことをしてきたところでした。

(岩波少年文庫 瀬田貞二訳)

(ポリーが)ある朝、裏庭で遊んでいたとき、となりの家の庭から男の子が塀をよじのぼって顔をのぞかせた。ポリーはびっくりした。というのは、それまで、となりの家に子どもが住んでいたことなど一度もなくて、ケタリー氏とケタリー嬢という年取った独身の兄と妹が住んでいるだけだったからだ。ポリーは興味津々で男の子を見上げた。はじめて見るその子の顔はひどく汚れていた。両手で泥いじりをして、それから大泣きして、その手で涙をぬぐったとしてもこれほどは汚れないだろう、というような汚れかただった。じっさい、男の子はそれとほぼ同じようなことをしていた。

(光文社古典新訳文庫 土屋京子訳)

あまり違いはないような気もするけれど、やはり慣れ親しんだ瀬田訳が好きですなぁ。
土屋訳が悪いわけではないのだけれど、上品で美しくて優しい瀬田訳があるのにあえて新訳する理由が、私には全然わからない。

ちなみに二人が屋根裏部屋にリンゴとサイダーを隠し持っているシーンが好きだ。
ん? ビスケットだっけ?

概して新訳より旧訳が好きな保守的な私です。



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