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私のひまつぶし(写経編) [ひまつぶし]

先日、被災地を巡って写経会を開く坊さんたちのドキュメンタリーを見た。
被災地の現状とそこに住む人々の悲しみや不安に直接触れて、自分の弱さやずるさを思い知る坊さんたち。
無力感と恐れを抱えながら、それでも人々と向き合っていく。
その戸惑い、苦悩する姿にこそ、救いを見出せるような気がした。
神妙な顔で被災者支援だ、心のケアだと言っている輩より、よほど寄り添っているように感じた。

苦しむ人々の手助けをするということは、その苦しみを一緒に抱える覚悟が必要だということだ。
そっくりそのまま同じ苦しみを味わうということではなく、関与する側もまた、その立場なりの苦悩を担わなければならないということだ。
簡単なことではないのである。
日本の仏教も捨てたもんじゃない。
ウチの菩提寺は論外だがな。

さて、ひまつぶしの話。
写経する人々を見ていて、私はもちろんこう考えた。
「これっていい暇つぶしになるんじゃないか?」
畏れ多くも、ありがたーいお経である般若心経を、あろうことかひまつぶしに使おうと言うのである!

インターネットで検索すると、お手本はもとより、上からなぞって書けるように薄く書かれているものもある。
現代はお経だってPDF化されているのだ。
早速印刷してみる。
幸い、ボスは出張で部屋には私一人だ。

おー、なるほど。確かに書いているうちに無心になれる。
こりゃーいい。
しかし廊下を人が通るのでちょっとドキドキする。
仕事中に写経しているのを見られるのはあんまりよろしくない。
さぼっていると叱られることはないけれど、精神的に病んでるのかな、と思われてしまう。
まあ若干病んでいるのは確かだ。
般若心経の写経は所要時間約1時間。
私は気が散ってしまって切れ切れになってしまったけれど。

最後に日付と名前を記入。
願い事を書いてもいいらしいが、祈りとは本来そういうものではない。
「何も願わない手を合わせる」(藤原新也)である。

ありがたーいお経であるからして、もちろん寺へ奉納するべきだが、ひまつぶしの写経を奉納するのはかえって仏に対する冒涜であろう。
ゆえに、とりあえずは目立たない封筒に入れておいて、いずれはシュレッダーへ納める予定です。


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